「……い。起きろ!遅刻するぞ!!」
耳に聞こえてたのは聞きなれた声と扉を叩く音だった。
部屋にどんどんと響く音を聞き徐々に覚醒する意識…ゆっくりと瞼を開くとふと体に違和感を感じた。
(可笑しいな……遅くまでゲームやり過ぎたせいかな)
「いい加減にしろ、桐乃!!遅刻しても知らんぞ」
「もう、うっさいな……」
先程からしつこく呼び続ける主に一言文句を言ってやろうと桐乃はベットから体を起こした。
しかし、扉に向かう途中に足がおぼつかなくなり視界が揺らぎ立っている事すらままならずそのまま床に倒れてしまった。
「おい!どうした」
大きな物音に何事かと返事を待たず慌てて部屋に入ってきた。
先程まで扉を叩いていた桐乃の実の兄、京介だった。
断りも無く勝手に部屋に入ってきた京介を一発殴ってやろうと思い立ち上がろうとするが上手く行かなかった。
「大丈夫か。何してんだよ…たく」
しかし、赤みを帯びた桐乃の顔を見ると京介の雰囲気が変わり額に手を触れてきた。
何時もならば「キモイ。触るな」と罵詈雑言で罵る所なのだが、火照った体に冷たい手が心地よくて桐乃にしては珍しく大人しくされるままになっていた。
(でも、何でこんなに体が重いのよ……なんか頭も痛いし)
「お前凄い熱があるじゃねーか!」
「え?」
「とりあえず、ベットに戻るぞ。じっとしてろ」
強い口調で告げられた言葉に反応出来なかった桐乃の返事を待つ事無くお姫様だっこで抱き起した。
「ち、ちょっと。何するのよ、離せ!変態!?」
恥ずかしくなったのか急に暴れる桐乃に京介は先程よりも強く力を入れて抱きしめてきた。
「こ、こら暴れるな!落ちる!くそっ…大人しくしろ、この馬鹿妹!!」
暴れ続ける桐乃にキツイ頭突きの一発。
ゴチンと鈍い音が響いた。
あまりの痛みに、桐乃の頭には星がチカチカと呼びまわり額を抑え軽く呻いていた。
「痛たぁ~~………いきなり何するのよ!」
「うるせーよ!文句は後で幾らでも聞いてやるから病人は黙って従がっとけ。お前風邪ひいてんだよ」
結局、ベットに戻された桐乃は言われた通りに渋々横になり、京介が持ってきた体温計で熱を計ってみると明らかに平熱より上がっていた。
確かにこれだけの熱があれば、今の状態は頷ける。
「で、幾らあったんだよ」
「何が」
「熱だよ。見せろ」
「嫌。大した事無いから気にしないでよ、こんなの寝てればその内治るわよ」
これ以上気を使われるのも癪な桐乃は体温計の電源ボタンを押し京介に向かって投げ捨てた。
京介は慌てて手を出し落とす事無く無事にキャッチをする事ができた。
「おっと。お前な……人が心配してるのになんだ、その態度」
「はぁ?何時私が心配してって言ったのよ。余計なお世話なのよ」
呆れた声を上げる京介に対して桐乃は非難の声を上げきつく睨み返す。
まだ、頭がぼーっとするし体が鉛のように重いし、先程より調子が悪くなってるのは明白……こんなのただの強がりなのは桐乃自身でも分かっていた。
だけど、京介に対し甘えると言う行為がどうしても躊躇ってしまう。
あの人生相談以降、桐乃自身から何度も頼っているにも関わらずにもだ。
全く難儀な性格である。
「良いからあんたはさっさと学校に行きなさいよ」
「そうはいかないだろうが、親父も母さんも明日までいないんだぞ。それに、薬はどうすんだよ。せめて朝食ぐらい持って来てやるから食えって」
「食欲ないからいらない」
「馬鹿。こう言う時少しでも食わないと体力もたないぞ」
食い下がらなく病気の桐乃を気遣う京介に、苛々が爆発したのか枕を掴み思いっきり投げた。
「ああもう、煩いって言ってるのよ!そんなの自分で出来るわよ。兄貴面すんな!!」
「お前って奴は………分かったよ、勝手にしろ。どうなっても俺は知らんからな!」
落胆の声を上げ京介は言われた通りに大人しく部屋を出て行ってしまった。
バタンと大きな音を経てて閉まる扉。
たった一人部屋に残された桐乃が感じるのは、自ら行った行為に対する苛立ちと後悔の念だった。
「はぁー……何やってんだろう私」
桐乃自身、酷い事を言ったと思う。
京介は純粋に気遣ってくれれたのに、あんな乱暴な態度しか出来ないなんてなんと子供なのだろうか。
長年、卑屈な態度をとっていたせいだろうかどうしても素直になる事は出来なかった。
「……もう寝よう」
もとより熱で、動く気など毛頭ない桐乃は布団を深く被り眠る事にしたのだった。
「ごほっ、ごほっ……」
しかし、熱と頭痛と寒気で思うように眠る事は出来なかった。
起きては寝ての繰り返しをさっきから続けていて気分も最悪……携帯で時間を確認すると思わず愚痴が漏れた。
(……何よまだ、一時間しか経ってないじゃない)
思えば京介とのやり取りのせいで熱しか計っておらず、朝食も薬も飲んでなかった事を思い出した。
それに喉もカラカラで水分が欲しい。
やっぱり、薬ぐらいは飲んでおいた方が良かったかもと今更ながら後悔をしていた。
文句を言っても仕方が無くとりえず、食料も薬も一階にしかないため重い体に鞭うち強引に起こしつつふらつきながらもどうにか部屋の外へと出た。
壁に手を添えゆっくりゆっくりと進む……だけど、僅か数mで直ぐに体力の限界がきて動きが止まってしまう。
「はぁはぁはぁ……もう無理」
床にへたり込みその場から動けなくなってしまった。
誰かを呼ぼうにも親もいないし、京介も学校に行って今この家には桐乃しかいなかった。
自分でどうにかするしかなく他に方法も無い桐乃は床を這うようにして部屋に戻ろうとした。
しかし、腕の力のみで進むこの方法では想像以上に体力の減りは高かく直ぐにばててしまう。
視界に扉が見えているのに数mの距離が凄く遠く感じた。
荒い息が静かな廊下に響き、心細さと情けなさで少しだけ涙が浮かんでくる。
(何で私がこんな目に……って多分、原因はゲームよね。コンプ出来ずに結構遅くまでやってたし)
仕事の都合で親がいないこの時を良い事に深夜までゲームを没頭。
その結果、夜更かしが原因で体調不良に陥るなぞ正に自業自得と言うやつだった。
しかし、今の問題はそんな事ではなく今現在どうするかだ。
体力の限界がきている今では進む事も戻る事も出来ないのだ。
暫く廊下に倒れたままで途方に暮れていると、玄関の方から鍵の開ける音が聞こえてきた。
(え?誰)
さっきも言ったがこの家には誰も無い、こんな時間に帰ってくる人は誰もいない筈。
そう、普通は。
(もしかして、空き巣…とか?)
それとも、警察官である父を逆恨みした誰か……冗談ではなかった。
今の状態では動く事が出来ない桐乃相手では良い鴨だろう。
焦りと恐怖とは裏腹に玄関の扉が解錠されぎぃーっと重い音が聞こえてきた。
ぎぃぎぃ、とフローリングの床を歩く音が家に静かに響く。
(こ、こっちには来ないでよ)
心臓が張り裂けそうなぐらい高鳴り強く願うけど、足音は容赦なくこちらに近づいてきた。
(ちょっと、マジなの!?や、やめてよ)
相手が凶悪犯なら何をされるか分からない。
必死に隠していた不安が溢れ止まらない。
(誰か助けてよ…お願い、兄貴!!)
焦り、恐怖し思わず心の中で叫んだ相手は京介だった。
あれだけ、邪見にしておきながらも……しかし、ここにはいない人間に対してどれだけ助けを求めもそれは無意味な行為だ。
だから、せめて現実から目をそむけるように目を瞑った。
この後に待つ現実に恐怖を抱きながら……
「何やってんの、お前?」
「へ?」
呆れた様な声にゆっくり目を開けるとそこには出ていった筈の京介がそこにいた。
何故か出ていった筈の京介が目の前にいたのだ。
きっと今の桐乃は珍しい動物を見つけた様な相当間抜けな顔をしていたに違いない。
「な、何でいるのよ」
「べ、別に…大した理由はねーよ。それよりもお前こそ何してんの?うつ伏せなんかして軍隊の訓練でもしてんのか」
「そ、そんな訳ないでしょう!」
京介の軽口に顔を真っ赤にしながら反論をする。
桐乃は先程の不安をそして、内心京介の事を兄と呼び頼った事を悟られないようにきつく睨めつけた。
本当は泣きそうだったのとは死んでも言える筈がない。
結局桐乃が口にした言葉は何時もの強がりだった。
「い、良いから部屋に戻るから手を貸しなさいよ」
「さっきは触るなって言ってなかったか」
「そ、それはそれよ。良いから部屋に運べ!」
「へいへい、分かりましたよ」
気の抜けた返事を返しながらも言う通りにまた桐乃を抱き抱えてくれた。
さっきは、突然の事で暴れた桐乃も今度はそんな様子もなく大人しく京介に体重を預け任せた。
「ほい。到着っと」
「……」
「何、見てんだよ」
「何でもない……」
「そうかよ。とりあえずほれ、これでも食っとけ」
「え?」
鞄から取り出されたビニールの袋を受け取り中を覗くとそこにはサンドウィッチなどの軽食が入っていた。
他にも水や薬なども一緒に入っていた。
「これ…」
「ま、その……なんだ。多少は食わんと治るもんも治らんぞ。お袋でもいればマシなもん出来るだろうが生憎俺は料理を作れんからな。これぐらいは我慢して食えよ」
あいつは照れ臭そうに頬を掻いていた。
あれだけ、口喧嘩して酷い事を言ったにも拘らず桐乃を心配して戻ってきてくれた………それが桐乃には伝わっていた。
だからこそどんな顔をして反応すれば良いのか分からなかった。
「な、何でなのよ。何であんたは何時も……」
「う、うるせーよ。病人放って行けるわけ………い、良いから黙って食え。いらねーなら俺が食っちまうぞ」
「た、食べるわよ」
「ふん」
「ご馳走さま」
「おう。後は薬を飲めば大丈夫だろう」
残ったペットボトルの水で渡された薬を飲んだ。
桐乃の食事が終わると京介は腰を上げ立ちあがった。
「俺がいたら落ちつかないだろう。自分の部屋にいるから何か用があったら携帯で呼べよ」
しかし、出ていこうと立ちあがる京介の裾に手を伸ばし思わず掴んだ。
「…あ」
「どうした」
なんで止めたのか桐乃でも分かっていなかった。
明確な理由なんて思いつかない。
でも、行って欲しくない……桐乃は一瞬心の中で思ってしまっていた。
「その……」
「なんだよ」
ウザくて、平凡で良い所なんて一つも思いつかない京介の事は快く思ってなかった筈だ。
このまま手を離して、何時も通りにすれば良い……だけど、それが出来なかった。
熱のせいか、京介を見ていると動機が激しくおかしな事を考えてしまう。
結局桐乃は、何度も言い淀みながら「ここに……いて」っと、消え入りそうなぐらい小さな声でそう告げたのだった。
桐乃にとっては珍しい健気なお願い。
普段の桐乃からは想像出来ないぐらい可愛らしい反応、世に居る兄が見たら卒倒しても可笑しくなかった。
しかし、肝心の京介は上手く聞き取れなかったのか事もなげにもう一度聞き返してきたのだった。
「ごめん、あんま聞えなかった。もう一回言ってくれ」
「むっ」
その言葉に桐乃の顔は真っ赤に染まりきつく睨み返され、京介はどうして怒っているのか分からず困惑していた。
あんな恥ずかしい事二度も言える訳もなく、桐乃は引きつった笑顔を浮かべていた。
「ちょっと、こっちにきなさい」
「な、なんだよ」
「いいからくる!」
言われた通りに傍に寄った。
「もっと、顔をこっちに寄せて」
更に距離を詰め顔と顔が触れあうぐらいの至近距離まで迫ると、突然桐乃は京介の耳を掴み思いっきり引っ張った。
「いたたたたたたた!!」
「ここにいろって言ったのよ、この馬鹿!少しは察しろ!!」
鼓膜を突き破りそうなぐらいの大音量で叫ばれ、よろめくように桐乃から離れる。
キーンと耳鳴りがする耳を京介は両手で塞ぐ。
流石にこれだけ叫ばれれば否応でも聞こえるだろう。
「お、お前な、何もそんな大声で叫ばんでもいいだろう」
「ふん。唐変木なあんたが悪いのよ」
「な、なんだと、こらぁ!!」
「もう煩いな。私、寝るから静かにしてよ」
「ちっ、分かってるよ」
そのまま桐乃は不貞腐れて布団を深々と被った。
(たまに素直になったらこれよ……鈍感、変態、馬鹿兄貴)
~End~