「ちゃんと、私が帰るまでにはコンプしとくのよ」
「ああ?馬鹿言うなよ。一日で全クリ出来るかっての」
態々玄関まで見送りに来てやったというのに、桐乃からの無茶な要求に京介は苦笑いを浮かべていた。
「ちっ。なら、せめて一人はクリアーしなさいよ。それぐらいなら出来るでしょう」
「分かった分かった。さっさといけよ」
「むー…中途半端な所で止まってたら本当殺すからね」
「善処はするよ」
実妹とは思えぬ桐乃の乱暴な口ぶりに京介は適当に返事を返した。
何時もの膨れっ面で出かける桐乃を見送り、京介は今日の事を思い深い溜息を吐いた。

あの日、妹のヲタク趣味を偶然知った事から始まった奇妙な関係。
エロゲーで言う所のフラグが立ち、あの日妹を助けるなんて選択をした以降今までの疎遠の関係とは裏腹に接点が増え、今では人生相談と成って話す機会も増えていた。
最も人生相談と言えば聞こえはいいが、現実は傍からみたらただのパシリに近い状態なのだが。
そう例えば、休日の日にエロゲーのプレイを強制されたりとか。

『えへへ、お兄ちゃん。おはよう、今日は何して遊ぶ?』
「何が、おはようだ。こんな事言われた事無いぞ」
大人しく言われた通りに自室でゲームを進める京介であったがそのテンションは限りなくゼロに近かった。
ゲーム内のキャラに対して突っ込む行為も何時もより覇気がなかった。
もちろん京介はゲーム自体、嫌いではない。
ゲーセンもたまには行くし、やりたいと思う時もある……しかし、こんな朝っぱらからエロゲーをしかも妹物を嬉々としてやる趣味などは毛頭ない。
愚痴を零しながら暫くプレイをしていたが、攻略対象がデレに入るにつれて京介の気分は段々と悪くなってきた。
妹キャラの甘い言葉を聞く度に背筋に悪寒が走りパソコンを叩き割りたくなる衝動に駆けられる。
心なしか頭痛も伴ってる気がしてきた。
心身ともに限界に近づき段々と表情も険しくなってくると、ふと京介の携帯が鳴った。
手に取りディスプレイに表記されている文字を見るとそこには“黒猫”と出ていた。

「……もしもし」
『もしもし、私よ』
「言われなくても、分かってるよ」
『…何よ、折角私から電話をしてあげたのに随分な態度ね。何かあったの』
思わず、気分のままに口にした事で口調が荒くなっていたようだ。
いきなりの態度に逆に棘のある言葉で返されてしまった。
「あ…悪い。別に機嫌が悪い訳じゃ無くてだな。ちょっと桐乃に…な」
『……何、またエロゲーを押しつけられたの。態々休みの日にまで御苦労さまね』
「全くだよ」
『嫌なら嫌と断れば良いのに……本当はあなたアダルトゲーム好きなのではなくて』
「違うわ!!」
声を荒げて反論をする京介に電話越しから聞こえた声は小さく笑っていた。
『ふふっ、別に隠さなくても良いのよ。男ならしょうがない事だわ。貴方もあの子に影響されて段々こっち色に染まってきてるみたいだし素直になっても良いのよ、兄さん』
からかうように言われた“お兄さん”と言う言葉に京介の中で何かが切れた。
「っ!?お、俺をおちょくる為に電話をしてんならもう切るぞ!」
『あ、ま、待ちなさい!電話を切る事は許さないわ』
「なんだよ。まだ俺に用があるのか」
ただでさえやりたくもないエロゲーの性で苛々していた所に、言うに事書いて好き物呼ばわりされたのだ。
京介の口調が荒くなる事を誰が咎められようか。
あまりの怒り様に黒猫も流石に罰が悪くなったのが素直に謝ってきた。
『ごめんなさい。ちょっとからかい過ぎたわ。気分を害した事は謝るわ』
そんな素直に謝れると京介もこれ以上言う気も起きなかった。
元々、黒猫は無関係だし八つ当たりするのは筋違いだとは感じていた。
「……良いよ、別に。それで、結局俺に何の用なんだ」
『えっと……』
何時もはっきりと物を言う黒猫にしてはえらく歯切れが悪い口調に京介は少し疑問を抱いた。
「なんだよ。はっきりしないな」
『わ、私にだって心の準備と言うのもいるのよ』
「選ばれた闇の眷族でもか?」
少しからかい気味にあえて答えるが、気にする事無く若干上ずった声で反応をしてきた。
『そ、そうよ。むしろ私だからこそこの程度で済んでると言って良いわ。ただの人間の貴方ならただじゃ済まないわよ』
「そうかい…で、なんだよ」
やっぱり可笑しいと思いつつ改めて聞き直すと一呼吸置きやっと返事が返ってきた。
『……貴方。今、家で一人かしら』
「あ?一人だけどそれがどうした」
親もいない桐乃は仕事、この家には京介しかない事を答える。
『そうそれは都合が良かったわ』
「何が良いんだよ。どう言う意味だ」
京介の問いに答える事無く黒猫は、僅かに間を置き簡潔かつストレートに告げた。
『……今から貴方の家に行くから、大人しく待ってなさい。良いわね、これは闇の女王が定めた運命なの。出かけたり居留守なんてしたら漆黒の呪いが貴方にかかり今後の生を謳歌する事なく闇に染め上げってしまうから覚悟する事ね』
「は?」
何とも中二臭い、斜め上からの凄い遠まわしな言い方に唖然とする。
数秒間、どう言う意味かを考えやっと黒猫の意味する事に気づいた。
「あー……つまりあれだ。お前は俺の家に来たいから出かけずに待ってろってそう言いたいんだろ」
『え、ええ、そうよ。理解してくれたかしら』
「ああ、随分回りくどかったけどな。俺は…別に構わないぜ」
このまま一人エロゲーしてるよりはマシだとうと思い黒猫の誘いを素直に受け入れた。
『そうね、分かれば良いのよ。賢明な判断だと思うわ。直ぐに向うから心待ちにしてる事ね』
「了解。じゃ切るぞ」
電話を切ると先程よりも疲れが押し寄せてきた気がした。
「全く、今日は厄日だな………はぁー」

それから程なくして、家のチャイムがなり玄関に向かうと何時もの黒いゴスロリを着た黒猫がそこにいた。
「ごきげんよう」
「ああ、おはよう。取りあえず上がれよ」
「そうする事にするわ」
「とりあえず、リビングで良いよな」
「いいえ、貴方の部屋の方が良いわ」
「なんで」
「なんでもよ。それとも何?見られては嫌な如何わしいものでも置いてあるのかしら?」
何故そこまで言われないといけないのが疑問を感じつつ、さりとてダメな理由も特にはない。
しかし、親がいないと言うのに態々京介の部屋を指定するなどどういうつもりなのだろうか。
「仕方ないな……じゃ付いて来い。言っておくが黒猫が想像するようなものは何もないからな」
「ふふっ、そう言う事にしておいて上げるわ」
弁解する京介に対し何とも不敵な笑みを返してきた。
(……本当に分かってんのか。こいつ)

しかし、部屋に入るなり…
「あるじゃない如何わしいもの」
さっきまでプレイしていたエロゲーがそのまま立ちあがった状態のまま黒猫はパソコンを指さしてきた。
「これは桐乃のだ!それにさっき電話してたんだから知ってんだろうが!!」
「ふっ、冗談よ。そんなに目くじらたてないで頂戴。それに私が来るのにこのままにしておく貴方も大概よ」
「わ、忘れていただけだ!たくっ……一体何しに来たんだよ。桐乃はいねーぞ」
思わず漏れた言葉に黒猫の表情に陰りが見え始めた。
「……何も用事が無ければここに来てはダメなのかしら」
「え?」
「あの子もそうだけど、私と貴方も友人だと思ってたのにどうやらそれは私だけなのかしら?私の思い込みだったのならごめんなさい。それなら私も考えも改める事にするわ」
確かに、黒猫と沙織は桐乃の友達でもあり、京介の友達でもある。
若干責めるような語尾を含めた黒猫の言葉に京介は自分が口にした言葉を思い返していた。
友人にあのような言われ方をすれば気分は良くないだろう。
「違わ……ないな。確かに、お前の言うとおりだ」
「なら、そんな冷たい事を言うのが貴方の友達に対しての態度なのかしら?ふふっ、随分なサド気質なのね」
「ちげーよ!」
「じゃ、マゾ?」
「それも違う!!」
まるで三流のコントのような会話を繰り返す二人。
突っ込みで疲れたのか京介は荒い息を吐き肩も上下に揺れていた。
「冗談よ」
「ちっ。たくよ……妙に俺に絡むな。からかって楽しいのか?」
聞き返すと当然のように胸を張って返された。
「ええ、凄く楽しいわ。貴方の慌ててる姿見てると凄くぞくぞくするもの」
「おい、お前な……」
うっとりと陶酔する黒猫に、京介の顔は明らかに引きつる。
(サドはお前だろうが……あれか邪気眼だからか、それともこれも闇の眷族の仕様なのか)
色々と突っ込み所があり過ぎて何からするべきか考えるだけで、京介の頭はパンクしそうだった。
そんな京介の反応を満足気に見ており黒猫の頬はまるで酒に酔ってるかのように赤かった。
こいつは真性のサドだと京介は理解する事にした。

「さて、冗談もこれぐらいにしておこうかしら」
「って、これも冗談かよ!?」
「これがあの子が頼んだゲームなのかしら?」
「俺の話を聞け!!」
自分より年下な子に良い様に翻弄される京介はなんとも情けなかった。
「煩いわね。そんなに怒鳴らなくてもちゃんと聞こえてるわよ」
「誰のせいだと思ってるんだ!」
「分かったわよ。もう貴方で遊ぶのは止めるからちゃんと質問に答えて頂戴」
「だから!……はぁー、もう良いよ。で、何だって」
「これがそうなのかと聞いてるのよ」
「そうだよ」
軽く返事を返した黒猫は数回キーボードを叩き口を開いた。
「何よ。全然進んでないじゃない」
「悪かったな」
数回Enterを押すと、テキストが流れキャラクターの甘い声がスピーカーから聞こえてきた。
「全く、メルルといいあの子は相変わらず良い趣味してるわね。これ、妹系じゃない」
「そうがが、俺に言われても知るかよ」
「何時もこんなゲームをやらされてるのかしら?」
「そうだな……妹系が多いよ。あいつ、好きなんだよ」
「そう……やっぱりあの子」
「ん?」

声も小さく京介の耳には上手く聞き取れていなかった。
振り返った黒猫は血のような深紅の瞳を細め京介をじっと見つめていた。
黒猫の鋭い視線に思わず息を飲んだ。
「な、なんだよ」
「ね、貴方。あの子の事を本当はどう思ってるの?」
「は?あいつはただの妹だろう。それ以外に何がある」
それ以外には答える言葉も無く、京介からしてみたら当たり前の返事だったのだが黒猫は眉をつり上げ更にきつく睨み返してきた。
「確か前にも聞いたことあったわよね。私が聞きたいのはそうではなくて」
「何が言いたいのか全然わからん」
「しょうがないわね……じゃ、単刀直入で言うわよ。本当は貴方も妹に渇望してるのではなくて?」
「な、何が?」
聞きづてならない言葉に、思わず口を開くが何故か先程より雰囲気が変わった黒猫を感じ逆に視線を逸らす。
あのまま目を合わしていると心の中を覗かれる気がしてならなかった。
「か、渇望って言い方が穏やかじゃないな」
「それ以外に表せる言葉があって。貴方だって本当は妹に甘えて欲しいんでしょう」
「アホか。なにを根拠にそんな事を言うんだよ」
「だって、あれだけ邪見にされても妹に一生懸命……貴方も本心では妹に頼られて嬉しかったんでしょう」
「………」
反論は…出来なかった。
もとより、桐乃に対しては妹だから兄貴だからと思いこんで半分自己満足に近い形で面倒を見てきたつもりだった。
そう、最初はそうだった。
だけど、今はどうだ?
少なからず妹に頼られる事に喜びは感じていた筈だ……兄として。
「あんな妹では、貴方も辛いでしょう。何かあれば口と手の暴力、挙句に当てつけのようなこんな妹系のエロゲーをやらせれていてはただの拷問でしょう。ならちょっと、私と遊んでみない」
「遊ぶ……だと」
「このゲームのように、私を仮初の妹として接してみるのよ」
予想外の提案に、京介の反応は微妙だった。
(どう言う事だ。こんな事して何の意味がある?黒猫を妹として接する……ありえねだろう)
断る事も出来た筈なのに、体は固まった様に動かなかった。

「兄さん」

血の繋がりもない、ただの友人の黒猫の兄と言う言葉に思わずビクリと体が震えた。
「好きよ、兄さん」
頬を染め言葉にも愛が含まれる様な熱が入っていた。
演技だと頭で分かっていても妙に力の入った演出に京介の冷静さが削がれていく。
距離を詰める黒猫に同じ様に後ろに下がった。
「く、黒猫。冗談はほどほどにしろよ。今度も冗談だろう」
「そうね。これはただの遊びよ。遊戯、子供で言う所のお飯事と同じ様なものだわ。だからそこまで焦る必要はないでしょう。ただ貴方は自分の思ったままにすれば良いだけ……簡単でしょう」
「あ、遊びってつっても」
妹と言う存在が桐乃しか知らない京介にとって甘えてくる妹など本当ゲームの中でしか知らない。
現実では、暴言を吐き暴力を振るい兄を兄と思わない傍若無人な行動を取るのが現実の妹と言うやつなのだ。
こんなのあり得ない。
あってはいけない。
ある訳ない!!

(だが……俺は本当は桐乃に甘えて欲しかったのか?)

邪見にされても構うのは、現実との裏返しの本望があったからなのか。
既に壁まで追い込まれた京介と黒猫との距離は手を上げれば触れあえるほど近い。
現に黒猫の手は京介の手を取り自らの頬に当てていた。
「温かい。兄さんの手ってとっても大きい」
「く、黒猫?」
「逞しくて安心するわ」
「ば、馬鹿か。離せよ」
「なら、自分から離せば良いのよ。私はただ握ってるだけ……ほら、兄さん。どうしたの、しないの」
黒猫の言う通り、振り解こう思えば容易に出来る事だろう……しかし、それが京介には出来なかった。
「くっ…」
「ほら、出来ない。だって兄さんは優しいもの」
嬉しそうに頬をほころばす仕草が可憐で思わずドキリ胸が高鳴った。
そして、似ている訳でもないのに一瞬黒猫と桐乃の姿がダブって見えた。
戸惑いと興奮。
悲哀と歓喜。
相反する感情が混ざり京介の心の中を駆け巡っていた。
体から滝の用の汗が吹き出し、黒猫の甘い囁きと温もりに京介は何かが芽生え始めていた事に気づき始めていた。
しかし、あと一歩ギリギリのラインでどうにか踏ん張る。
妹など好きでもなければ、過度の愛情などある訳がない、あってはいけないと心に強く思いこみながら。
「黒猫…いい加減止めろよ。こんな事して何が楽しんだよ。俺をもて遊んで嬉しいのか」
「あら、人聞きの悪い事を言うのね」
「だってそうだろう。こんな事、俺は望んでない」
「ふふっ、貴方も相当強情ね……なら仕方が無いわね。これは呪いよ。兄さんが素直に妹に甘えたくなるように」
「な、何を言って…ん!?」
不意に触れる唇への感触。
柔らかくて暖かくて漏れる吐息はどこかこそばゆかった。

「これは、決して解ける事が無い闇の禁呪法。貴方は私といる時には、この枷からは逃れられない。私の身も心は貴方のもの、そして貴方の身も心も私のもの………だからこの瞬間から私達は兄妹よ。この契は何よりも濃くて深い………良いわね、兄さん」
何と言う強引な言い分だろうか。
京介はオカルトマニアでも、厨二病でもない。
こんな契約に従う必要は何一つ無い筈………だが、京介は黒猫の言葉が何よりも深く刺さりまるで楔のように絡まっていた。
「なんでそこまで」
「ふふっ。貴方達二人が羨ましいから……ではダメかしら」
羞恥で頬を染める黒猫が演技なのかそれとも真実なのかもう分からなくなっていた。
ただ、黒猫が妹して京介に甘えて来ている…それだけが今分かる現実だった。
「黒猫……俺は」
「待って。私達は魂で繋がった兄妹なのよ。なら、あちら側の名前ではなくてこちらの名前で呼びなさい。二人の時はね」
「あ、ああ。分かったよ……瑠璃これで良いか」
「それで良いのよ。兄さん……私だけの兄さん」

この日から始まる契約と言う名の黒猫との奇妙な関係。
その後、特に何かをする訳でもなく部屋に一緒に過ごし黒猫は暗くなる前に大人しく帰宅して行った。
自室に一人残された京介は、初めて触れた異性の唇の感触の余韻を思いだしていた。
「なんで、黒猫はあんな事したんだ……そもそも何で今日家に来たんだ?」
桐乃の言われたゲームなど既に進める気も起きず思い出すのは黒猫の事ばかり。
まるで、本当の呪いのように契約が京介の心を蝕んでいた。
そうまだ、この時の京介には、黒猫が訪れた真意に気づく事は無い……まだ。

~End~









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